たかしま農園

トマト対談

FEATURE
はじめに

長崎県にはたくさんの離島があります。
そのひとつ高島は、
かつて炭鉱の島として栄えたところ。
世界遺産となった軍艦島と並ぶ、
長崎を代表する石炭の産出地で、
産業と島の活気を支えていました。
その炭鉱が閉山したのは1986年。
それ以来、島は高齢化と人口減少が進んでいます。
そんな中「島の新たな産業となる」ことを
掲げたのがたかしま農園です。
今にいたるまでには、
時代の流れと多くのドラマがありました。
農園事業に関わることになったきっかけと、
新商品の開発まで、
たかしま農園をとりまく出来事を振り返ります。

contents
振り返る人
崎永海運(株)トマト事業部 所長 溝江隆史
崎永海運(株)トマト事業部 営業隊長 木下静幸
崎永海運(株)取締役部長 﨑永麻実子
場 所
崎永海運(株)トマト事業部 (長崎市高島町)
トマト対談 第1回

なぜ、トマトをつくるのか。

 
3人で揃って改まった場で話すのは初めてということで・・・。
まずは簡単に自己紹介をお願いします。
溝 江
溝江です。農園の所長をつとめています。おいしいトマトを作るのが好きで、本当にそれだけでこの仕事を続けています。このメンバーで集まって農園について話すなんてめったにないことですし、いい機会だとおもって楽しみにしていました。
木 下
営業担当の木下です。今日は、何を話すことになるだろうとドキドキしています。私はもともとは役所に勤めていたのですが、自分の先輩にあたる方と一緒に仕事がしたくて退職してトマト事業部に飛び込みました。ちなみに、その先輩は自分と入れ替わりにいなくなってしまったんですけどね。
一 同
(笑)
﨑 永
私は本社で経理を担当していますが、トマト事業部にも関わっているんです。3年前に現会長の指示で、トマト事業のイメージ戦略を任されました。現社長と共に、たかしまフルーティトマトの良さをどう伝えていくべきかを考えています。高島の現場にいるお二人とは違い、普段は本社にいますから、現場のことを詳しく聞けるといいなと思っています。
 
さっそくですが、たかしま農園を運営しているのは崎永海運株式会社ということについてです。海運会社がトマトを作っているのはなぜなのか、尋ねられませんか?
﨑 永
はい。聞かれます。直接尋ねられなかったとしても、こちらから「海運会社が運営しているトマト農園なんですよ。」と話すと、実はそのことが気になっていたんですよ、ということはよくあります。
 
崎永海運の仕事は、船による牽引。主に船の部品などを運んでおり、造船に深い関わりがある。
海運会社が、トマトを作ることになった理由。
﨑 永
トマト事業は、弊社が始めた事業ではないんです。以前は第三セクターで運営されていました。
その経営を引き継ぐ会社を探しているという話を、トマト事業を引き受ける1年ほど前から耳にしていました。現会長の方にも「トマト事業を引き受けてくれないか」という話が来ていたそうです。ただ、トマト事業の経営状態があまり思わしくなく、踏み切れずにいました。
その当時、永田農法がブームでした。水や肥料を極限まで減らすいわゆるスパルタ式農法で、農産物自身の力を引き出して甘みやうまみをあげる農法です。私も講演会を聞きに行ったりして、永田農法で作られたお野菜や果物を試食させていただいたんです。この農法で作られた農産物がとてもおいしく、感動しました。
溝 江
麻実ちゃんが悩んでいる頃、私は永田農法に感銘を受け、情報を集めて実践していました。うちのトマトの品種 (ファースト)にぴったりの農法だったからです。厳しい環境に置くことで、トマトが甘く育つのです。
﨑 永
永田農法を実践している畑が高島にあると知り、驚きました。そして食べてみて、美味しさに驚きました。こんなトマトをやめるのは惜しいと思ったわけです。現会長も同じ思いでした。なにより高島の過疎化や高齢化に歯止めをかけるためにも、トマト事業を島の産業として残すべきだと覚悟を決めたんです。そして、トマト事業引き受けに名乗りを上げました。
 
トマト事業を引き受けるまでに、このような流れと偶然があったのですね。
木 下
私はこの数年後に入社したので、しゃべる機会がありませんでしたね。(笑)
 
次はたっぷりお話聞かせてくださいね。